2014年10月13日月曜日

草枕(夏目漱石)

草枕
茶碗を下へ置かないで、そのまま口へつけた。濃く甘く、湯加減に出た、重い露を、舌の先へ一しずくずつ落して味って見るのは閑人適意の韻事である。普通の人は茶を飲むものと心得ているが、あれは間違だ。舌頭へぽたりと載せて、清いものが四方へ散れば咽喉へ下るべき液は殆んどない。只馥郁たる匂が食道から胃のなかへ沁み渡るのみである。歯を用いるは卑しい。水はあまりに軽い。玉露に至っては濃かなる事、淡水の境を脱して、顎を疲らす程の硬さを知らず。結構な飲物である。眠られぬと訴うるものあらば、眠らぬも、茶を用いよと勧めたい。

0 件のコメント:

コメントを投稿